Issei Hara
非日常体験が日常茶飯事に変わるとき
2009年 6月 9日 23時 30分 火曜日

非日常体験が日常茶飯事に変わるとき

非日常的な体験も、それを積み重ねると日常茶飯事的になり、新鮮さや刺激がまったく感じられなくなってしまう。
…そういうことって、よくあるよね。

──以前、バイクで世界一周の旅に出た友人も同じことを語っていたけど、非日常を追い求めてスリル満載の大冒険に出掛けたはずなのに、月日が経ち、それに慣れてしまうと、最初の頃に感じていたハラハラドキドキが薄れ、求めていたスリルを感じられなくなってしまう。「バイクで世界一周」が日常生活の一部になってしまった──と。

もっと身近な例を挙げるなら、、、
例えば俺は職業的な影響もあり、食べ歩きにハマったことがあった。
ハイブランドの高級レストランから庶民的でリーズナブルな隠れた名店まで、あらゆる有名店に足を運んでいた時期があった。
毎週一回、または毎日一回、もしくはそれ以上のペースで外食し、「非日常」的な食体験を追い求めていた。

しかし、「非日常」を追い求めていたはずのその食体験も、あるとき気がつくと、それが日常的なことになってしまっていて、、、
最早ありきたりの「外食」では、なんの感動も感じられなくなってしまった。
「外食」や「食べ歩き」という「非日常」が、俺の生活の一部になってしまい、求めていた新鮮さや刺激を感じられることは極めて稀な出来事になってしまった。

結果、俺はさらなる非日常の食体験を求め、「ピクニック」にハマりだした。
(具体的には、今から2年前以降、そして現在までに至って。)

公園で寝転がって食べる、バゲットとチーズとワイン(と美しい女性)は、俺にとってとても新鮮で、ちょっとした「非日常」を楽しめる素敵なイベントだ。

んーと、ちょっと話がズレたけど、

要するに、

非日常を求めるならば、少なからず、未知の領域に足を踏み入れるしかない。
ってこと。

可能性の限界を知る唯一の方法は、不可能の中に、わずかながらでも足を踏み入れることだ。

って言葉もあるように、毎日の生活を、人生のすべてを、刺激的なものにして、楽しみ、豊かにする
ためには、「未知」や「不可能」といった領域に手を出すしかないんだよね。

そう、これって「must」で、つまり「絶対にやらなければならない」、「やるしかない」って感じ。

「飽きるほど遊べ」

この言葉は、俺の父が、俺が幼い頃から言い聞かせてくれた言葉なんだけど、最近になってようやく、「おいおい。この言葉の真意は深いぞ」と改めて考えてる。

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